川越いもの特徴
歴史
川越いもの歴史は、始まりは江戸時代までさかのぼります。
当時「川越いも」とは武蔵野台地の川越藩とそこに隣接する他藩の村々で生産されるサツマイモの事を指していました。
現在でいうと、川越市、所沢市、狭山市、新座市、三芳町に当たる地域になります。 この地区では1751年にサツマイモの栽培が開始され、昭和30年まではとても多くの生産量がありました。
川越いも
川越にサツマイモのイメージが定着したのは、寛政時代(1700年代末)のことで、このころ江戸では焼き芋が一大ブームになっていました。
理由は、サツマイモは庶民の食べ物では、数少ない甘い食べ物であったこと、そして、とても安く手に入ったことが挙げられます。
江戸では川越のサツマイモは川越イモと呼ばれ、質が良く最高級品とされていました。
サツマイモは重くてかさばるため、陸路での搬送には向いてませんでした。
川越は新河岸川から江戸へ船での運搬ができましたので、たくさんのサツマイモが出荷され、大産地として認知されるようになりました。
時の将軍家治は、川越藩主がサツマイモを献上したところ、芋の鮮やかな赤色とおいしさから「川越いも」と名付けたことも伝えられています。
やがて天明の大飢饉のときに、サツマイモは大活躍をしました。
サツマイモ代表産地として川越地方が天保時代の「諸国名物番付」に記載され、
川越と言えばサツマイモというイメージが定着しました。
最近では、今の皇太子が幼稚園の頃、川越にサツマイモ堀りに来られたことから、川越の名が更に有名になりました。
それに合わせて、『いもほり観光』も盛んになりました。